皆さんこんばんは、ポッキーです。

今日は埼玉県の新興地ウイスキーメーカーである、ベンチャーウイスキーについて書きます。ベンチャーウイスキーの製品を飲む記事に書こうかと思ったのですが、長くなりすぎますので(笑)

というわけで試飲記事ではありません(・∀・)

社名:株式会社ベンチャーウイスキー
本社:埼玉県秩父市
創業:2004年9月
資本金:4,100万円
社長:肥土 伊知郎(あくと いちろう)
売上高:3億7,875万円(2015年3月期)
従業員:12名
事業内容:ウイスキーの製造・販売

現時点で日本では唯一となる、ウイスキーのみを製造・販売する企業です。サントリー、ニッカウヰスキー(アサヒビールの傘下)、キリンディスティラリー(キリンビールの傘下)、マルスウイスキー(本坊酒造)などは総合酒類・飲料メーカーですし、地ウイスキーメーカーと呼ばれる小規模なウイスキーメーカー(若鶴酒造など)は、基本的に日本酒などの蔵元がウイスキー「も」造っている酒造会社です。

大手メーカーの傘下ではなく、日本酒・焼酎・地ビール・ワインなど他の酒類を造るわけでもなく、ウイスキーという製品単体で、自社単体で販路を切り開いていく当社は、まさしく「ベンチャー」企業なのでしょう。

当社が正式に蒸留所をオープンしたのは創業から約3年半後の2008年2月のこと。つまり、ベンチャーウイスキーの原酒は最長でも約8年間しか熟成は進んでいません。「イチローズ・モルト」(社長の名前に由来)というブランドネームで販売される当社のウイスキーの年間生産量は90klで、日本国内のウイスキー年間販売量の1000分の1以下です。

当社で製造するのは、二条大麦麦芽を原料に、単式蒸留機で蒸留するモルトウイスキーで、とうもろこしなど様々な穀物を原料に連続式蒸留機で蒸留するグレーンウイスキーは製造していません。連続式蒸留機は単式蒸留機に比べて、高いアルコール度数の原酒を大量に製造できますが、単式蒸留機よりも多額の設備投資が必要となりますので、将来的にはともかく現時点では製造していないようです。

ウイスキーには熟成が必要なのは広く知られていますが、仕込みから出荷まで最低3年間は必要です。スコッチウイスキーのイギリスではウイスキーを名乗るためには3年間の貯蔵が必須と法律で義務付けられています。日本の酒税法では熟成期間に定めはなく、蒸留してしまえばウイスキーを名乗ることはできますが、蒸留したてのウイスキー(ニューポットと言います)は、無色透明で焼酎に近く、ウイスキーとしては飲めません。

また、ビールなどの醸造酒と違い、蒸留機に多額の設備投資が必要になることから、ウイスキー業界への参入障壁はビールなどと比べて高くなります。地ビール会社は日本全国に数多くありますが、自社で蒸留まで行う地ウイスキー会社はわずかです。

基本的に最低3年間は販売する製品がないわけですから、ウイスキーでは売上が立ちません。ウイスキー以外の酒類を造って凌いでいるわけでも、大手メーカーの資金投入があるわけでもありません。資本金も現在ようやく4,100万円ですから、資本家に出資を募って潤沢な資金を保有しているわけでもありません。

そんな当社がどのようにして創業期を乗り切ってきたのか、その答えはベンチャーウイスキーの社長である肥土伊知郎氏の家業にあります。

肥土氏の実家は、埼玉県羽生市にある東亜酒造という酒造会社です。1625年創業の老舗造り酒屋で、現在は日本酒、焼酎、みりんなどを製造しています。また、かつては「ゴールデンホース」という銘柄のウイスキーも製造していました。

肥土伊知郎氏は、東京農業大学で醸造学を学び、サントリーに入社して営業部門で働いていたという経歴の持ち主です。実家の東亜酒造の経営が悪化したのを契機に、1997年に東亜酒造に入社しています。しかし残念ながら経営立て直しには至らず、2000年には東亜酒造は民事再生法適用を申請し、2004年には日の出みりんなどで知られるキング醸造のグループ企業となります。

民事再生ですから、破産とは違って事業は継続できますし、キング醸造というスポンサー企業も見つかったわけですから、後は立て直していくだけです。実際、現在でも東亜酒造は企業存続しています。

しかし、バブル崩壊以降、国内のウイスキー市場は縮小を続け、非常に低迷していたことから、不採算部門としてウイスキー部門は廃止、貯蔵中であった約400樽にも及ぶ原酒は、引き継ぎ先が見つからない場合には破棄するよう求められてしまいます。ウイスキーを貯蔵するには樽が必要で、それは必要に応じて補修が必要です。また、樽を保管する場所の土地と建物、その維持費、管理する人の人件費なども必要になります。ウイスキー市場の回復の目処の立たない中で、そのコストに見合うリターンは期待できないと、スポンサーが判断するのも無理からぬことでしょう。

しかし、それは肥土氏にとって耐えられることではありませんでした。ウイスキーは今日造って明日売れるものではなく、原酒は先代から受け継いだ大切な宝でした。原酒の中には20年近い熟成期間を経たものもあり、肥土氏は原酒の貯蔵場所を提供してくれる企業を探すために東奔西走しました。

上述のとおり様々なコストが必要になるウイスキーの保管に、簡単に応じる企業など普通はありえないのですが、福島県郡山市の笹の川酒造が原酒の保管に協力してくれることとなります。何をどうしたらそんなことができるのか、合理性を超えたところに判断要因があるのではないかと思います。

ただ、笹の川酒造も日本酒を造る酒蔵ですが、地ウイスキーメーカーとして今もウイスキーの販売を行っています。東亜酒造のゴールデンホースのことも当然知っていたものと思われ、長期貯蔵の原酒が破棄されてしまうのは酒のつくり手としてあまりにも忍びなかったのかもしれません。

肥土氏は、笹の川酒造に原酒を保管してもらうと共に、ベンチャーウイスキーの起業準備を始めます。そして、2004年9月に株式会社ベンチャーウイスキーを創業し、2005年5月には初製品となる「イチローズ・モルト」を世に送り出します。

原酒は東亜酒造の羽生蒸留所のものであり、笹の川酒造に保管してもらっていたものであり、製品化に必要な設備も笹の川酒造に借りて製造したものでした。

良い製品こそできたものの、中小零細企業が通常最も苦労するのが販路開拓です。往々にして良いモノさえ作れば売れるという考えから販促を疎かにしたり、製品を作ってから売り方を考えるなど対応が後手後手になり、在庫を抱えて資金繰りがショートしてしまうことも珍しくありません。

縮小を続け、サントリーとニッカウヰスキーが9割のシェアを占める国内ウイスキー市場で、名もないベンチャー企業が如何にして販路を開拓したか。肥土氏は、バーや酒販店への飛び込み営業を行うことで販路を開拓していきました。イチローズ・モルトの初期ロット600本は、2年間かけての飛び込み営業でようやく売り切ったそうです。並行して市場調査としても2000軒のバーを巡るなどして、今後の製品自体の方向性も検討していきます。

その結果が現在の、少数限定売り切りでの高級モルトウイスキーを主体とした製品構成です。ベンチャーウイスキーでは定番銘柄はほとんど造らず、その都度、400樽の羽生蒸留所原酒や、新たに造られる秩父蒸留所を巧みにブレンドし、本数限定でボトリングしています。限定品の高級ウイスキーとして売り出すことで希少性が高まり、今や当社の製品はバーテンダーやウイスキー愛好家たちに、また広く海外のウイスキー愛好家たちにさえ熱狂的に求められるようになっています。

少数のボトリングしかしないことで、樽に貯蔵する原酒以外の大量の在庫を抱えるリスクは軽減されます。大手と比べて生産能力が低く、原酒の保有量も少ない当社で、製品の味を一定に保つことは困難を極めますが、定番品をあまり造らず限定品主体とすることで、味を一定に保てないことを逆手に取って希少性を打ち出すことに成功しています。

600本売るのに2年を要したイチローズ・モルトは現在、数百~数千本の限定品を売り出す度に即日完売する状況が続いています。インターネット予約などでは、予約開始数十秒で完売になってしまうほどです。ただ、残念ながら完売になった限定品はオークションで高値で取引されるようになり、50万円の値が付いたことすらあります。

高値で転売可能で短期間で利ざやを稼げるウイスキーは、自分で飲むために購入する愛好家に加えて、いわゆる転売屋などの業者の格好の商材にもなってしまっています。限定品中心のイチローズ・モルトは特にこの傾向が強いようです。

そんなわけでイチローズ・モルトの限定品は私の口に届くような状況には到底ありませんが、秩父蒸留所の原酒の熟成が進む中で、今後じょじょに解消されていくのではないかと個人的には期待しています。

肥土氏はインタビューなどで、東京オリンピック開催の2020年の秩父蒸留所の10年熟成の製品を出したいと考えていることや、最終目標として30年熟成の製品を出したいことを語っています。秩父蒸留所の原酒が30年目を迎えるのは最速でも2038年、今から22年後のことです。

鬼が笑いすぎて顎を外しそうですが、イチローズ・モルト30年を飲める日が来ると良いですね。手軽なお値段でイチローズ・モルトが飲める日も来ると良いですね……(-。-) ボソッ

それでは今回はこの辺で。

(=゚ω゚)ノナガクテゴメンナサイ!!
|彡。゚+.*:.サッ